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朝6時。
辺りはまだ闇に覆われていて、明かりのスイッチまでは、目が慣れるまですり足です。
このシーズンは、朝7時に登校する娘がホッカイロを取りに本堂へ入ってきます。
今朝は、玄関前でふと「ホッカイロを玄関に置いておいたほうが合理的ではないか」と思ったのですが、同時にあることも思いだして、やはり本堂に取りに来てもらうことにしました。
ある門徒さんの家の話です。
その家では、お孫さんの箸、スプーン、フォークなどを、仏壇の前に置いてあって、仏様にご挨拶をしなければ食事ができないようにしているそうです。もちろん、他のご家族も同様です。
仏様に手を合わせても病気は治りません。
経済状況もよくなりません。
けれど、ほっとするのです。いつもではありませんが。
ほっとする、ということは、それひとつだけでは生きていくことはできませんが、様々な出来事に「意味」を与えてくれるものであります。そして、その意味さえも私たちには分からないから「南無不可思議光」なのですね。