2024年04月01日 04時26分
新学期が始まります。
3/31も4/1も、同じ一日ですが、こうして「節目」を作ることで、初心を思い出し、心機を一転する意味では、先人の知恵のありがたさを感じます。
ただし、『進むべき方向が誤っていなければ』、の話ですが…
仏教は「私が仏に成る」ことを目標にしています。
仏は「慈悲」と「智慧」の完成者です。
「慈悲」は「人を泣かさない生き方」です。
「智慧」は「見返りを求めない生き方」です。
仏教は「この2つこそ、命あるものにとって最も尊ばれれる生き方」と定めています。
「○○になりたい」「○○を実現したい」「○○を手に入れたい」と思った時に、お釈迦さまが
「それ、いいね。頑張ってね。そのときに、ちょっとこのことも思い出してみてね」
と、肩を叩いてくださっている、と感じてみてください。
(ちなみに、心の真ん中に置いているものを、宗教の世界では『本尊』といいます。「お金教」「自分教」…いろんな宗教がありそうです)
2024年03月25日 04時40分
私たちは「お布施」と聞くと、反射的に「金品」を連想します。
間違いではないけれど、本来の意味はもっと広範に及びます。
例えば
表情で相手を和ませる「顔のお布施」
荷物を取ってあげる「身体のお布施」
相手ファーストの声掛けとしての「ことばのお布施」…
ほかにも
順番や席を譲るお布施、雨宿りに軒先を提供するお布施なんかもあります。
詳しくはこちら(天台宗HP)
お布施は別名「喜捨(きしゃ)」とも言います。
この言葉は、私には大変重いです。
何を「喜んで捨てる」のか。それは「『私がしてやったのだ』という思い」です。
「いいことしたな」という感情です。無理でしょ。
たとえば、運転中に道を譲ったときに、相手がお礼の仕草や
ハザードランプの点滅がなければ
「なんだ、道を譲ったのに無礼な」
となることがあります(私は)。
これは、喜捨、つまり施していない、という具合です。
なぜそうなってしまうのかというと、
(私たちの作り上げてきた)この世界が「ギブ&テイク」で成り立っているからです。
「施したのだ」という思いから離れなさいね。
これがお釈迦様の説かれた「布施」です。
ギブ&テイクを最も象徴しているのが経済活動です。
なので、ギブ&テイクでなければ、この世界を生きていくことはできません、
しかしながら
ギブ&テイクだけでは、仏さまの説く「ほんとうのしあわせ」は
永久に理解できないかもしれません。
この世界は、ときどき「ギブ&ギブ」があるから、面白いのだと思います。
(私の立場でお布施について説明すると、いつも気持ちが落ち着きませんけど、原語にはそういう意味がある、程度にとどめていただければ幸いです。)
2024年03月18日 05時06分
「尊いものを、尊いと思えるその心が、尊い」
数年前に出会った言葉です。
もう少し古文調だったと思い、調べましたが、忘れました。
仏さまは尊くない!という人はほとんどいないと思いますが、
では、尊いので毎朝、心を込めて手を合わせます、とはならないですね。
写真の方は、数年前にご主人を送ってから、ときどきこうして親鸞さまのお花をお供えして、ろうそくに火を灯し、ねんごろに合掌して帰られます。境内にご主人のお墓があるので、「ついで」かもしれませんが、どちらでもいいです。
「ときどき」と聞くと、たいていは「気分次第」「ゆとりのあるときだけ」と思われるかもしれませんが、
その方の身体の具合などを知っているので、そんな風には微塵も思いません。
私は本堂の縁側から、特に声がけすることもなく、その方が手を合わせるタイミングに合わせ、座って待っていましたが、冒頭の言葉を思い出して目頭が熱くなってしました。
(いま記事を書いていて気がついたのですが、核家族・親と同居しない、ということの弊害は、これだったのですね。「仏壇があるから、おっけー。」は間違いなわけです。さりとて今更同居は勧めませんし、私のように親を送った人ならば、せめて「一生懸命生きた姿」を思い出す、ということが大切なように感じました。)
2024年03月11日 21時41分
声明(しょうみょう)の稽古をしています。
簡単に言うと、「仏さまのメロディー」です。
先日、NHK『新日本紀行』(←クリック)が放送されまして、42年前の放映の後、10分ほど師匠ら「大原魚山塾」の取り組みが取り上げられました。正月明け早々、一人興奮しておりました。
塾名は、中国の山東省にある「魚山」で声明が盛んにおこなわれたことと、日本声明の聖地「大原」にちなみます。
また、高野山(真言系)の声明は「怒りの声明」、一方比叡山(天台系)は「泣きの声明」と、それぞれの唱法の特徴から呼ばれているそうです。
上の写真は、「ユリ」という旋律を「唄(ばい)」「散華(さんげ)」「伽陀(かだ)」というそれぞれの曲によって、微妙にゆれ方が異なることを表したものです。
西本願寺は昭和8年に、儀礼の大改訂が行われ、専門的な唱法の伝承は途絶え、誰もがやさしく唱えられる「大衆唱和」に移行したそうです。それには「儀礼の厳粛さや玄妙さの損失」と「法話による布教・伝道」への舵切りも伴い、僧侶間でもますます「マニアック」な世界になってしまいました。(結果、「儀礼軽視」「法話を聞いて”理解”しても、心がついていけない」現在に至る、というのは私の推論ですが、おそらく間違いないことと思われます)
時々、ご法事でこの声明を唱えます。20年かけてやっと1年生を卒業できるかどうか、と言われます。皆さん、どうか長生きしてください。
2024年03月04日 05時10分
↑先年8/2に往生しました前々坊守・児玉直子おばあちゃんは、本当に手先の器用な人で、いろいろな作品を残しました。その中の一つ、「千代紙のお雛様」です。よくみると顔がありません。しかし不思議なことに、表情が豊かなのです。
私の郷にいた画家の原田泰司(←クリック)を想起します。
「のっぺらぼうだ。へんなの…」と言った娘にも、この人形の表情がありありと感じられる日がやってくるのを楽しみに待っています。
↑今年中学生になる長女の初節句に、先年9/24に亡くなった前住職・児玉雄嗣父から送られたお雛様です。
「そんなに高いのか!」
子どものいない父に、初孫の節句の話をするのはいささか気が引けました。
忙しさにかまけて、出したり出さなかったり…これからは毎年出します。
節句…文字通り竹の節のように、人生における節々(アクセント)を付けて、強く真っすぐに育ってもらいたいです。
ご門徒さんの雛飾りです。
…というか、床の間の掛け軸に目が止まりました。
「念念称名常懺悔(ねんねんしょうみょうじょうさんげ)」。
中国唐代の善導大師の『般舟讃(はんじゅさん)』です。
あえて自己反省などせずとも、ナンマンダブの徳により、お念仏称える中に懴悔と滅罪の徳がそなわる、という意味です。
ナンマンダブを称える時くらいは、自分の心に素直でありたいです。
2024年03月03日 12時23分
(御当家の猫もお参り…)
これからお勤めしようというときに、窓の外に猫がスッと座ったので、笑いました。
「『人間の動物園』を観に来てるんです」
と娘さん。
この視点は面白いです。
ほんと、どっちが「自由」を手に入れているかわかりません。
しかし、この「自由」を、「ほんとうの自由」としたら?
私たちは、お金や健康や友達で、自由な気分を得ます。
そのことについて「黒白二鼠のたとえ」(←クリック)」に触れました。
私は何者?というか、この世界を生きている「私」の状況をお釈迦さまがたとえておられます。
2024年02月28日 20時23分
昨年は、前々坊守(8/2)前住職(9/24)を送りまして、寺がバタバタしました。
それに引きつづいて、私の実家の母が11/22に亡くなりました。70歳でした。
詳細は別の機会に譲りますが、最近、感じていることを綴ります。
私たちにとって「グッド」は、病気が治ること、商売が繁盛すること、仲の良い人に恵まれること、でありましょう。であるから、その反対である「バッド」が、病気になること、負債を抱えること、仲たがいすることになるでしょう。そして、最大の「バッド」つまり不幸は死である、と。
であるなら、この価値観で生きていく間は、私たちは皆「バッドエンド」の人生です。
「そうさせません」これが仏さまの叫びでしょうか。
ここに「浄土真宗」「お念仏の教え」があるのでしょう。
上の写真は、唐代中国の敦煌にある「莫高窟(ばっこうくつ)五十七窟壁画」の観音菩薩さまです。
観音菩薩さまは「観世音」つまり、世の人々の悲痛の叫びを受け入れてくださる菩薩さまです。
慈悲のシンボルとして阿弥陀さまの脇侍に住しておられます。
このお顔をご覧ください。
「お前、いろいろ間違っとるぞ。自業自得じゃ。お念仏の何たるかを全く理解していない。もう一度仏教の勉強をやり直せよ。」
「この世界はしんどいことだらけね。私もその苦しみ、経験しました。結局すべて、自分で選んだ道なのよね?いいじゃない、それで。大丈夫。阿弥陀さまに必ずさとりを開かせてもらうんだから、もう少しの辛抱よ。さあ、笑って」
さて、皆さんはどんな声が聞こえてきたでしょうか?
2023年10月22日 08時27分
およそすべての争いは、相手への「無理解」から起こります。
子どもが集まると、つかの間の平安を覚えますが、しかし、子ども同士も喧嘩をします。
喧嘩をしながら、相手への「理解」を身に着けていってほしいと願います。
その背景(包み込んでいる世界)が、お寺・仏さまであることが、いい。
葬式と法事の場としてのお寺の姿は、全体の1割です(体感)。
その他はほとんど、「公園」と同様の機能です。
公園のようだけれど、その陰にひっそりと「教え」がある。
それは、自分自身への理解、そして相手への理解をうながす、「仏智(仏さま目線のものの見方)」です。
是非、浸ってみてください。
2023年10月21日 08時29分
(母の住んでいる近くの公園。都会にこんな素晴らしい公園がありました)
これからの時代、「公園」こそ地域・まちづくりのキーワードになると確信しています。
公園は、子どもだけの遊び場ではありません。
大人も遊ぶのです。
ジャングルジムや鬼ごっこの事ではなくて、読書や会話、またはコーヒーを飲みながらボーっとする、散歩するなど…。
仕事や家事だけでは、心も体も持ちません。だから、車のハンドルのように「遊び」が必要です。
さて、みーんなの公園プロジェクト(クリック)というものがあります。
私が公園に馳せる思いはもちろん、それ以上の情報が詰まっていて、大変魅力的なサイトです。その中で「インクルーシブな地域社会」という言葉がありました。
「包括的な」という意味です。あらゆるものを受け入れていく。似たような言葉に「バリアフリー」がありますが、こちらは障がい者や高齢者が対象であるイメージが強いです。
わが地域に、公園が欲しいです。
2023年10月20日 08時28分
(法事で「いろんな宗派があるね」という会話から、ゴールはどこや?!となりまして…)
仏教のゴールは「成仏」です。
仏に成ることです。
仏とはどんな存在か。
それは「慈悲」と「智慧」をコンプリートした姿です。
「慈悲」は「相手を泣かさない生き方」です。
「智慧」は「見返りを求めない生き方」です。
そして、こういった上で、改めて仏さまに合掌礼拝するということは、
「『相手を泣かさない生き方』『見返りを求めない生き方』こそ、『命あるものにとって最も尊ばれる生き方』であることを、自分の生きる根本に置く」
ということです。これが「本尊に手を合わせる」という姿です。
自分が欲しているもの(経済・健康・家族友人)を提供してもらうように手を合わせるのは枝葉末節の部分です。
ときどきは、自分が求めているものではなく、仏さまが与えようとされておられるものを訪ねてみてはいかがでしょうか。
2023年10月19日 23時54分
「浄土」は「ピュア・ランド」と英訳されます。
このように他国の言葉で翻訳すると、意味がわかりやすいことがあります。
ピュアとは「純粋な・混じりけの無い」です。
混じりけとは「私の欲・煩悩」です。
煩悩とは「自分中心のものの見方」です。
よって、浄土とは「相手も自分も認め合う世界、好き嫌いや価値基準によって行動や判断が左右されない、もっとも素直に生きれられる世界」と表現されます。
ある法事でピュアランドの説明をした時、「行ってみたい…」とつぶやく若い方がいらっしゃいました。
その感覚を「欣求浄土、厭離穢土(ごんぐじょうど、えんりえど)」といいます。
「浄土(純粋な世界)をあこがれ、穢土(この濁りきった世界)を厭い離れんとする」心です。
絶え間ない戦争、経済活動中心の価値観、コロナ、教育格差、虐待、ハラスメント、…このように「濁り」を挙げればきりがありません。
以前、「宗教がおこる3要素」として、「貧・病・争」があると教わりました。
ひとりの人の中にこの3つが揃うとき、求めるものがおこるのでしょう。
逆に、「経済的に豊かであって、若くて健康で、みんなと仲良し(と思っている)」人には縁のない世界かもしれません。
↓ちなみに、こんなイベントがあったようです。
京都・永観堂での「ピュアランド・ライツ」の様子(クリック)
2023年10月18日 23時50分
ホウキギが赤くなってきました。
「コキア」といいます。
小さな粒状の実は、「畑のキャビア」「マウンテンキャビア」の異名を持つ「とんぶり」として秋田名物になっています。
(秋田・大舘のとんぶり紹介はこちら)
この大舘の紹介ページのホウキギの写真を拝見すると、一般に見るものと比べて姿がずいぶん違っていて驚きました。おそらく、観賞用というより、栽培・収穫用に品種改良されているのだろうと思いました。
さて、お参りの方の中に、写真を撮って帰る方がときどきおられます。
境内・本堂とよく合います。理由は多分「無常観」かなと思います。
春夏秋冬の移り変わりを、人生に重ねてみてください。
2023年10月16日 23時47分
「ごうてんじょう」。一般には社寺の建築様式に見られ、天井様式にある「真・行・草」の簡略序列のうち、最も格式高い「真」にあたるものとされています。
福泉寺に入寺した2010年、私が最も虜になったのはこの格天井でした。
先月往生した前住職が、皆さまにお願いをして実現したものです。
皆様もお参りにお越しの際には、ぜひご覧いただき、その思いを共有してくださればと願っています。
2023年10月15日 23時46分
(法事の後。片づけを終えた仏間の格子窓から光が漏れていました。幻想的です)
ブッダは、目が見える(五感が冴えている)ことは迷いの種であると説きます。
これについては日常、お参り先で難聴や白内障などの「聞く」「見る」の機能が低下していく不自由さ・しんどさを皆さまから聞かせていただいているので、やはり目と耳は大切にしたいと思うのですが、ブッダの視点はもう一つ別のところにあるのです。
つまり、私たちは、「ありのまま」に「聞く」「見る」ことが出来ず、自分の勝手な解釈(認知バイアス)をかけてしまいます。そしてそのことで「善悪」「正邪」「好き嫌い」を振り分けていくのです。
「聞くんじゃなかった」「見るんじゃなかった」というのはよくあることです。
聞こえること、見えることを手放しで礼賛するのは危ない、と教えてくださいます。
ほどよい「闇」は、沈思黙考を促してくれます。
2023年10月14日 23時52分
銅製の雨どいに数か所穴が開いていて、雨がしたたっていました。
先日ご往生されました、雨どいの専門業者でもある前総代長さんが、30年前に設置してくださいました。
銅製なので、酸性雨や瓦の釉薬(ゆうやく)の影響で穴が開いています。
今回はその穴の補修を、長男さんがしてくださいました。
身の引き締まる思いです。
感謝しかありません。
2023年10月11日 16時15分
(朝日新聞朝刊10/4より)
子どもたちに作曲に指導をする記事です。
作曲家の藤倉大さん。
指導、と書きましたが、基本的に「指導しない」というスタンスだそうです。
極力助言を控え、また現場では音楽教師、家庭では親が口出しをすることを禁じるように発信しているそうです。
アメリカ航空宇宙局(NASA)が「創造的な問題解決能力」のテストをしたところ、4~5歳の98%が「天才」に分類された、とありました。これが5年後には30%、10年後には12%になり、大人ではわずかに2%だったそうです。
さて、「天才とは」何ぞや、という定義については割愛しますが、仏教者の立場から類推するに、「そうだろうな」と思い当たるものがあります。
それを考察する際にキーワードになるのは、「知恵」「常識」「煩悩」です。
つまり「私たちは充実した経済活動を目指して『知恵』を身に着けるべく脳をトレーニングする。しかしそれは、『常識』という道徳・法律観に基づいた線引きが規範になっているため、この規範に倣っていく過程で独創性を手放していくのだろう。なぜ、そうしていくのかというと、前段で述べた通り、経済の充実を目標としているのであり、そのことはそのまま『煩悩』のすがたに他ならない。一方、子どもにはもともとその概念(煩悩・欲)がないため、自由闊達な発想をもって存在することが出来る」と言えそうです。
言うまでもなく、経済の発展を否定しているのではありません。
ただ、「常識や知恵を身につけること」を手放しで礼賛することを、仏教は警鐘を鳴らしているのです。もっと言えば、そのような人間の姿をご覧になった仏さまのお心を「悲」とあらわしているのです。
この世界で生きていくために、いったん仏さまの世界とは180度逆のベクトルへ進む。その後、進む方角に疑問を抱き(常識を疑い)、一度引いた線が揺らぐ。仏教の面白さはここから始まるのです。
2023年10月10日 13時29分
(朝日新聞10/8朝刊1面)
10/7、たまたまテレビをつけたら「長崎くんち」を生中継していました。気が付けば、家族で釘付けになって観ていました。
「長崎くんち」は1634(寛永11)年に始まった祭りで、1979(昭和54)年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。
規模の大きな祭りで変遷が多彩。ウィキペディアでも膨大な情報量です。
(詳しくはこちらクリック。)
祭りの根源は「楽しさ」です。天岩戸を、閉じこもった天照大神自らをもって開けしめたのは、戸の外から聞こえてくる楽しい声、囃子です。
楽しくなければ、本来祭りとして成立していません。また、楽しくないから、全国各地の小地域(町内・組内)の祭りの存続が危ぶまれている、本末転倒な状態が現状である地域が散見されます。
どうすれば楽しくなれるのでしょう。
多分(間違いなく)、祭り以外の日頃の関係性です。
この関係性を担保するのに、地域の寺が「役に立っていく」のが望ましいかもしれません。つまり、間接的に寺も祭りに関わります。
明治以降、寺と神社は、宗教の違いを理由に分断をしてきました。
これからは、もっと「先進的な」関係性を持っていく事が、共存共栄を目指すときに必要であるように思われます。
2023年10月09日 13時28分
「けつじょうのしん」
と読みます。
阿弥陀さまのお心を、素直に受け入れることができていること(状態)を指します。
言い換えれば、「疑いのない」姿です。これと似ている表現で、「疑わない」となると、これは「状態」ではなく「行為」になり、そこに自分の心の作用が加わるので、疑いのこころがどうしても残ってしまいます。これらを「無疑」と「不疑」に使い分けます。注意が必要。
「この言葉とは切っても切れないなぁ」
1人のご門徒さんが言いました。
あらゆる場面で「けつじょうのしん」という言葉に縁があるようです。そのたびに、味わいが変わっていくと思います。
今朝は、そのことに加えて「信心歓喜(しんじんかんぎ)」という浄土真宗で大切にしている言葉も出てきました。これも浄土真宗では大切な言葉で、「阿弥陀さまのお心を受け取ったら、よろこびが湧いてくる」というものです。
もう一人のご門徒さんが
「よろこんでいるのは阿弥陀さんよね」
と言っていました。
ご門徒さんたちとそんな会話に自然になり、朝から幸せです。
こんな話を朝からしているお寺は、福山ではこの寺くらいと思われます。
2023年10月08日 13時27分
先日、お母さまの33回忌の法事を本堂で勤めました。
読経の前に、お参りなされた80代のご夫婦に以下の事を訊きました。
「お母さまの法名をそらで(何も見ずに)言えますか?」
答えはNO。おそらく多くの方が、ご家族の法名についてこのような認識を持たれているのではないかと思います。
そこで、以下の事をお伝えしました。
①法名は経典や教えに関する書物から引用して作られていること
②一字ごとに、意味があること
③その意味とは、「この世界で生きる私たちが、苦悩(生きづらさ)から解放される答えなりヒントなりが込められている」もの
要するに、重要なのは③です。2500年前に説かれたもの(答え)とは、今も昔も生きづらい私たちの様々な価値観に対しての、「こう捉えたら少し(もっと)ラクになるよ」という投げかけです。
換言すれば、「今の貴方の、そういう価値観だから、しんどいのです」ということです。
今日のご夫婦、特にご主人は
「法名には何かしら意味があるのだろうが、今日それを初めて聞いた」
とおっしゃっていました。
住職としてせねばならぬことがまだまだありそうです。
2023年10月07日 19時26分
タイトルは「こうせんそ ほっちゅうかい」とよみます。
簡単に言い換えて「近所の同じ宗派グループのお寺さん会議」です。
今回は主に「今月の子供会@金蔵坊」と「来年6月に門徒の皆さまと京都参拝」についてでした。
皆さまにとっては「自分のお寺」に関心があるところでしょうが、実はグループをあげて「スクラム」を組んでいる世界もあるのです。
2023年10月06日 15時48分
9/23。お彼岸法要のために「ウエルカムボード」を用意。
小2の長男に「書いてみて」と頼む。
文言は二人で相談して「おかえり」に決定。
9/24。前住職往生。深夜に病院から帰ってきた前住をストレッチャーに移して山門をくぐる。このとき、このボードが目に留まり、「何とも言えない気分」になる。
今回は、この「何とも言えない気分」について書こうと思います。
葬祭会館の方や、葬儀に関わる業者さんが時々「故人さまがお浄土に帰られました。皆さま、ご一緒に、合掌。」とアナウンスします。
この「帰る」というのは、あくまでも「仏さまの側がからの声掛け」です。なぜなら、私たちは浄土に一度も行ったことがないからと考えるからです。したがって、業者さんの声掛けは、そのまま仏さまの声掛けであり、言い換えれば、私たちは「帰る場所のあること」を確かに聞かせていただかなければならないのです。(それを「お聴聞」といいます)
このことから、ウエルカムボードを見て感じた「何とも言えない気分」とは、デジャヴや運命、預言といったことに自分が関わったかもしれない心境、あるいは、気安く縁起でもないことを書くべきではないといった後悔のような類のものではなく、
「いつ、何が起きてもおかしくない状況を1年以上頑張った前住と、そばで看病に明け暮れた前坊守への苦労を、息子の字を通して仏さまのねぎらう心が届けられているのだ」という感情なのです。
そう、仏さまが「命のよりどころ」となってくださっていたのです。
2023年10月05日 13時52分
年に1度実施されます「駅家仏教会」の研修がありました。
駅家仏教会は、文字通り、駅家町にある仏教寺院から構成されています。
真言宗・曹洞宗・浄土真宗と、「異宗派交流」の格好の機会です。
今回の研修は、岡山県の矢掛町にあります洞松寺(とうしょうじ)様への参拝です。
駅家町服部の信光寺さまがご縁をくださいました。
Youtubeで紹介されています(←クリック)
海外からの雲水さん(修行僧)がたくさんいらして、よく見るテレビの向こう側のような光景でした。
お茶やお菓子などの接遇をいただき、大変貴重でありがたいひとときでした。
個人的に、禅宗さんの雰囲気が好きです。
わずらわしさから解放されるような気分です。
歓喜庵さんからの「浄土真宗は、南無阿弥陀仏で助かりますが、禅宗さんはどのように助かっていくのですか」という趣旨のご質問は鋭く、私も興味関心を寄せました。
後半は宿場町・矢掛本陣へ。現地ガイドさんの説明を聞きながら、参勤交代当時の雰囲気を味わいました。
この近所に、北条早雲(初代小田原城主)の生誕地があることも発見でした。
終盤は料理屋さんで一杯。(四杯)他宗派の住職さんと肩を組まんばかりの親睦を深めることが出来て、一日有意義でした。
翌朝6時、飲み明かしたお寺さんの方角から梵鐘の音が聞こえてきて、独りで「つながり」を感じていました。あれだけ飲んだのに、すごいな…。
2023年10月02日 17時33分
(↑お通夜の午前3:30、中秋の名月でした)
前住職の葬儀の晩、前総代長のお通夜でした。
今から13年前、すべてを受け入れるような笑顔で、私たち夫婦を迎えてくださった前総代長さん。
晩年は体調がすぐれず、入院を余儀なくされ、さらにはコロナで会えない日が続いていました。私よりもご家族のご心痛を察するに余りあります。
総代在任中には「庫裡建設」「住職継職法要」など、大きな行事に携わっていただきました。当然、ご寄付を伴う事業ですので、私の知らないところで数々の批判・非難の矢面に立っておられたのだと想像します。
それでも私たちには一切漏らさず、そのお役目を全うしてくださいました。
前住に引き続いて、本当に心細いです。
「あれ、ご院さんなんでここにおるんか、まあええ、一杯やりましょうや」と声が聞こえてきそうです。向こうが急ににぎやかになっているのだろう、と思えることが、今の私にとっての慰めです。
さて、ここのご家族は、これから「おやじ」「おじいちゃん」の知らない一面や気づきに、出あっていかれるでしょう。このように、わたしたちは「どうやって死んでいったか」ということよりも「どのように人生を歩み、あるいは全うしたか」に思いを馳せることが出来るなら、もうすでに「癒し」の世界に包まれていると言えそうな気がします。
葬儀の送迎時、お孫さんがハンドルを握ってくれました。
これも、とてもありがたいご縁でした。
2023年10月01日 19時25分
私も喪主として、通夜に挨拶をいたしました。
以下全文です。
前住職児玉雄嗣の通夜にあたり、お勤めをいただいた御導師金蔵坊様はじめ、鴨川組ご法中の皆さま、寺族婦人会の皆さま、ご門徒さま地域の皆さま、ご会葬の皆さまに心より感謝申し上げます。
前住職は昭和48年にこの福泉寺に入寺しました。今年でちょうど50年です。福泉寺の26代住職としてつとめ上げることが出来ましたことは、ここにご参拝のお寺さまがた、ご友人、そしてひとえにご門徒や地域の皆さまのお陰様であります。前住に代わりまして、厚く御礼申し上げます。
①前住が入寺した折から、毎日のようにご門徒さんが遊びに来ていたこと、報恩講や念仏奉仕団のときには、今では考えられないほどに、にぎにぎしく、盛大にお勤めになったことを生前嬉しそうに話をしていました。また念仏奉仕団や時々の旅行など、本当に楽しかったようでした。前住は幸せ者だと思います。
②つぎに 多くのお寺さまや同級生、ご友人が、県内外から悔やみに 来てくれました。みなさまいろいろな話をしてくれました。そのほとんどは「とにかく楽しかった」思い出です。前住の枕を囲んで ここでは言えない話も交え 大笑いしました。こんなに素晴らしい方々に出会えて、前住は間違いなく幸せ者です。
③昔は親戚会が盛んで、その絆の深さは想像をはるかに超えたものです。「ゆうちゃん」「おじちゃん」「ゆうじ兄さん」と言って、慕ってくれる兄弟 いとこ 甥御さん、姪御さんなど、多くの親族に囲まれて、前住は幸せ者だと思います。
④愛妻家でもありました。外出先でも、どんな場面でも、「チエコ―」と呼びます。天満屋の子供服売り場で「チエコー」と遠くから聞こえてきたときは、少し恥ずかしかったです。あるお寺さんから
「ご院さんが言ってました。『わしは幸せ者じゃ。毎日女房の名前を呼んでいる。清浄歓喜智慧光―(チーエーコー)、な』と」と聞きました。ふつう、呼ばれた方が幸せというなら わかりますが、前住は呼ぶ幸せを感じていたようです。
⑤今から十三年前 私たち夫婦が結婚・入寺・長女の誕生を迎えて、いっぺんに「おとうさん」「じいちゃん」となりました。特に、孫の誕生は無上の喜びだったに違いありません。一方、私たち夫婦はといえば、すぐには「おとうさん」と素直に呼べずにいたこともありました。それでもここにいる母と共に辛抱強く待ってくれました。いわゆる親子喧嘩をすれば「二度と呼んでやるか」と思いあがった私です。最後まで息子らしいことを ほどんどしてしてこなかった私を迎え、父は本当に幸せだっだろうかと自問しています。
⑥そんな私、私たち親子ですが、お念仏のみ教えがあったから、そして、そのみ教えを一緒に聞いてくださる皆さまがおられたたから、今日までやってこられたのだと思います。私たちの悲喜こもごもを 丸ごと包んでくださった阿弥陀さんがいてくださって、父も私も本当に幸せ者です。
最後に、福泉寺役員の皆さまがたには、連日にわたってのご献身をいただき、厚く感謝申し上げます。
本日はありがとうございました。
2023年10月01日 07時30分
色々な方、特に寺院関係の方から感激と称賛のお声がありましたので、ご本人のご了承をいただいて掲載いたします。(以下全文)
式辞
前住さんの門徒葬に際し 門徒を代表して哀悼の辞をもうしあげます
先日 前住さんの訃報を受け 前住さんとの思い出が次々と思い出され 悲しみに堪えません
前住さんは府中の徳円寺様から昭和48年に福泉寺第26世住職として入寺され 私たち門徒をしっかり導いてくださいました
その在任期間に梵鐘(ぼんしょう)、鐘楼(しょうろう)の再建、本堂の屋根の吹替え、内陣・境内の整備、本堂後門(ごうもん)増設、そして庫裡(くり)・門徒会館の新設など多くの実績を残され 現在の福泉寺の姿を造ってくださいました
また鴨川組(こうせんそ)の子供会すなわち仏教子ども研修会の発足を呼びかけられ その会は今日まで続いており 今年も開かれるとお聞きしています
その子供会のおかげをもちまして 私たちの子供や孫達が お寺に親しみを持ち 大きな声でお経を唱えることが出来るようになりました
子供達の心の成長に大いに役立ったと思うと 本当に有難く感謝しております
私事ですが 前住さんと年齢が近いせいか 親しく声をかけていただきました
報恩講参りに来ていただいた時に 御文章の「聖人一流の章」について「この御文章は真宗門徒の入り口であり 同時に最後の目標かもしれません」と言われ その内容を教えていただきました
それ以来 私は毎朝のお勤めの時には この御文章の内容をかみしめながら 拝読しています
今思えばその日が前住さんによるわが家への最後のお参りでした そして その日が私にとって大切な日になっています 本当にありがとうございました
ある日前住さんが「亘さん 難病になってしまったよ」とおっしゃいました 私は「頑張っていればそのうちいい治療法が発見されますよ」と意味のないお答えをしたと思います その後、お会いする度に徐々に不自由さが増していくお姿を複雑な気持ちで拝見していました
そして昨年の五月頃 住職さんが「前住は歩くことも 食事をすることも 会話をすることも難しくなり 文字盤に指をさして 思いをつたえてくれています 昨日は不自由な手で『野バラのように自由になりたい』と伝えてきました」と話されました
風に揺れる野バラを自由に動けることの象徴としての言葉だったのでしょうか
前住さんは毎晩 就寝前のお勤め時 阿弥陀様 親鸞聖人 蓮如上人 聖徳太子 七高僧へと一々座る向きを変えながら「ありがたいことです」「すまんことです」「もったいないことです」と言って合掌礼拝され その後 正信偈を唱えられていたそうです
住職さんはそのお姿を初めて拝見した時の感想を次のように言われています
「読経の上手なお坊さんや 法話の巧いお坊さんに憧れながらも 仏に向かう父の姿に『僧侶の基本はここにあり』と教えられ このことは いつまでも心にとどめ 温めていきたいと思った」と
前住さんご安心ください 前住さんの思いはしっかりと住職さんそしてお孫さんへと引き継がれています
私たち門徒も 住職さんの指導の下 一層力を合わせ お寺を支えてまいります
どうかお浄土で 野バラのように自由を楽しみながら 南無阿弥陀仏となって 私たち門徒を導いでください
令和5年9月29日
葬儀委員長 栗原亘
葬儀にあたって、式辞のご依頼はしましたが、文面は一切おまかせです。
当日、拝読中にはうなずく方、目頭を押さえる他寺院の坊守さんのお姿がありました。
朝のお参りをはじめ、写真のような日常のご縁の中で、その時々の会話を記憶・記録しておられたのだと思うと、感謝しかありません。読み返すと胸が熱くなります。
この熱さの源泉こそ、仏様の慈悲に他なりません。
※慈悲=「人を泣かさない心こそ、命あるものにとって最も尊ばれる生き方である」という教え
2023年09月27日 12時07分
準備が落ち着かない、心が定まらない中での投稿です。
9月24日の21:49に往生しました。
前坊守と病院へ駆けつけるも、一歩間に合わず。
「いつその時が来てもおかしくない」といわれ1年以上。
家族はそれぞれ心の準備はしていましたが、母が嗚咽しながら父の方を強く揺さぶる姿を見て、私は立っているのがやっとでした。
急ぎ総代さんに御声掛けしました。
真夜中にもかかわらず、山門前で待機する総代さんの姿をこれからも忘れることはないでしょう。
昭和24年6月2日府中市鵜飼徳円寺生まれ。
昭和50年6月21日福泉寺住職就任
平成29年6月27日 〃 退任
42年間の住職生活でした。
前住に代わりまして、皆さまにはあらためて感謝申し上げます。
本堂のお荘厳(かざり)を調えています。
先月8月2日に往生した前々坊守・直子おばあちゃんの時に「寺葬(じそう)」を経験したので、段取りの気分が少し落ち着いています。
2023年09月24日 09時33分
昨日、「秋の永代経・お彼岸」の法要を営みました。
1.読経(仏説阿弥陀経)
2.法話(歓喜庵様・当山住職)
3.座談(10人程度)
翌朝、ご門徒さんが朝採り野菜をお供えくださいました。
今回の法要では「供養とは生者が死者にモノを手向けるもののイメージが強いが、場合によっては仏さまや、生者同士、そして一方方向ばかりではなく、場合によっては双方向的なもの、またモノに限らずココロもあてはまる、否、心こそ供養の本体」とお伝えしました。
この野菜こそ、「供養」であります。
2023年09月20日 21時53分
京都の師から電話がありました。
師が先導する声明(お経)のグループをバージョンアップするということで、その話をしたい、とのことでした。
超絶久々の師の声に、思わずテンションアップ。電話をスピーカーに切り替えて、同じ教え子でもある坊守にも聞かせました。
師が「広島に行ってもいい」とのことでしたが、9/26(火)、京都でお会いすることにしました。
「何か支度するものがありますか?」と訊くと
「六巻帖(ろっかんじょう)を持ってきてもらおうか」
心を密かに躍らせています。
…久々の投稿です。六巻帖と共に、暫くかぶったホコリを少しずつ払っていきます。