真宗に年賀欠礼は不要。
2021年12月17日 04時49分
仏教
日誌
先日の報恩講での、ご講師の話にありました、
「年賀欠礼は不要」についてですが、ご紹介されたハガキの原文を一部修正して掲載します。
迎春
旧年中のご芳情にたいし 謹んで厚く御礼申し上げます。
昨年は○月に母が、□月には義母が 平生の仏法聴聞の喜びを身に示しつつ おだやかに人界(にんがい)の寿を成就して阿弥陀様のお浄土へ往き生まれました。
送る身の愛情は止め難うはございましたが はや お念仏と成って私どもの心に還り来て 共に新春を言祝(ことほ)いでくださいます。
慈悲に包まれて心温もるお正月を過ごして頂いています。
本年もよろしくお願い申し上げます。
平成○○年 正月
名文です。
この頃は、門徒さんのみならず、寺院でも年賀欠礼のハガキが増えたことを嘆いておられました。
このような特殊な状況にいて改めて思うことは、家族との死別以上につらいことは無いのですが、分かれて尚、そのことを受け入れられずにいることもつらいこと。
そこへ親鸞様が「泣いてもいいよ。でも必ず阿弥陀様がお浄土へ生まれさせてくださるから、安心してほしい」と呼びかけてくださいます。
このことを素直に受け入れられて初めて喪が明けるのではないでしょうか。
そんなに難しく考えなくとも
「あなたのおかげで、今日も元気です」
こんな風に思えたら、もう、その人はすでに「喪が明けた」と言っていいのでは無いでしょうか。
いたずらに死を忌み嫌う必要は無いのです。