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浄土真宗 福泉寺

掲示板

伝道掲示板
「納(い)れる人。」の画像
納(い)れる人。
2022年09月10日 05時51分
涼を納(い)れる。 素敵な言葉です。 過日、お参りに行きましたお宅で、自作のクーラーを見せてくれました。 これがすこぶる涼しい。 「10時間は持ちます。これを寝る間にかけておくんです」 100円ショップの箱の中には保冷剤が入っており、箱に穴をあけて、小型の扇風機の風が箱の中をやさしく通ってきて、心地いいです。 そう嬉しそうにお話しくださったのですが、娘さんがエアコン嫌いのおかあさんを思って作ってくれたそうなのです。いいな。 ご主人に先立たれて、長らく独りの生活ですが、いつも優しい雰囲気でお迎えくださいます。人生の先輩。学ばせていただいています。  
「いただきもの。」の画像
いただきもの。
2022年07月09日 04時35分
この言葉を著された大峯(おおみね)顕(あきら)先生は、続けてこうおっしゃっています。 「この命は私の中で動いているけれども、私の所有物ではないんです。たまわった命です。誰のものでもないというのは、如来のものということです。ただの物質という意味ではなくて、人間の力ではない不思議なものからいただいた不思議な力です。(如来というのは、天地創造の絶対者という意味ではなく、私を生かす「働き」全般を指します。)   私は今、3人の子ども達の純粋な姿に心を打たれています。寝顔はもちろん、遊ぶ姿、怒り、泣き、日々の3人の姿を見ていると、幼い頃、私自身が受けた母の愛情、周囲の皆んなの愛情と重なるのです。しかし当時は応えるどころか、反発ばかりしていたため、そんな風に思い返すと涙が出ます。 この世で生きていくということは、「権利」「義務」「責任」と無関係ではいられません。だけど、「そもそも、生かされている私」を「とっても不可思議なことだ」として、今一度向き合ってみることは、生きることの根本的な意味において必要なことではないかと思うのです。  
「足を思う。」の画像
足を思う。
2022年07月08日 05時14分
ほとんど毎朝、親鸞聖人のお花を綺麗に入れてくださる方が声を掛けてくださいました。 とはいっても、この暑さも相まって、ご自身のお身体のこともあって、最近久しぶりに再会したところです。 「今の掲示板の言葉は、どこかの歌ですか?」 「いえ、どこかの法話で聞いたことがあって、耳の底にあったので書いてみました」 「なるほど、と思いました。私今まで、病気だなんだでこんなに足が動かなくなって、自分の足に嘆いたり愚痴ばっかりだったんですけど、ああそうか、こんな私の足も大地と合掌してたのかと思うと、なんだか気分が軽くなります」 私としては「なんかキザな言葉だな」と思って、もうそろそろ別の言葉に変えようと思っていたところだったので、もう少し置くことにしました。 ここでの「大地」は「無条件で私を受け入れてくれる世界」です。また「足の裏」は「私が普段『当たり前』と思って感謝することもない姿」です。 「合掌」は、・・・なんですかね。どう表現したらいいでしょう。教えてください。