「安らかにお眠りください」。
生前、病気や様々なご苦労をねぎらって、「もうしんどい思いをしなくていいからね」との思いを込めて、このような心情・言葉が出ることは、当然のことです。
一方で仏教は、「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」といって、「真実に目覚めること」を目標にする宗教です。
したがって、残された人にとっては「安らかに眠れ」ですが、先立って行った人にとっては「いよいよ真実に目覚め、そのあかつきには、未だに目覚めぬあなたを護り導いていこう」ということです。
目覚めるだけならまだしも、なぜ、目覚めていない人を護り導く活動をされるのか。それは、目覚めの内容に深く関わっていきます。
目覚めの内容とは「わたしとあなたは、ひとつである(=ふたつに分けることが出来ない関係)」という「無分別の見方」であります。
私たちは、「好き、嫌い」「価値がある、無い」「正しい、間違い」「この世、あの世」という具合に、物事を分けて考える「分別」の世界を生きています。同様の論理で、「わたし、あなた」と分別している。そして、そのような認識の源には「煩悩(自己中心の世界観)」があるのです。
命が尽きるというのは、この煩悩の火が消える(これを「涅槃寂静=ニルヴァーナ」という)ことを意味するので、亡くなった人は、無分別の世界に生きる、すなわち、
「あなたがうれしい時はわたしもうれしい」
「あなたが泣けば、私も泣く」
という具合に、無分別の世界から働きかけてくれるのです。
私たちは「目を開けて眠っている」。これが仏教の見方なのです。