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浄土真宗 福泉寺

山門の掲示板

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「2月カレンダー」の画像
2月カレンダー
2026年02月01日 13時05分
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を知っている人は多いでしょう。殺人・放火など多くの罪を犯した大盗賊でありながら、蜘蛛一匹を助けた唯一の善行で救済の機会を得たカンダタですが、他の罪人たちを思いやれず、糸が自分だけのものだと叫んだために糸が切れ再び地獄に落ちる姿が描かれ、人間のエゴイズムの恐ろしさを象徴しているようです。 さて、カレンダーの「救われる道」とは、いったい何を指しているのでしょうか。私たちにとっては「お金に困らないこと」「いつまでも健康でいられること」といったところでしょうか。これがあれば十分であると思われます。しかし、どちらもままならないことを、いつかは思い知らされます。そんな時、「誰かのために生きること」という視点を持ってみてください。一見細く頼りなさそうな蜘蛛の糸も、切れることはないでしょう。 でも、もし不安がぬぐえなかったら…?一度阿弥陀さんにご相談ください。(朝夕のお勤めはご相談しやすいです)  
「1月のカレンダー」の画像
1月のカレンダー
2026年01月01日 21時43分
私たちは「教え」によって生きていると言えます。 例えば、「ご先祖様や親の教え」「師匠や先輩方の教え」などです。 今は「AIの教え」も、人によってはあるかもしれません。 ここで注目したいのは「すがた」の字が「相」であることです。 例えば「人相」は、ごまかしがききません。 「手相」についても、浄土真宗はこれをあてにしない宗教ですが、やはり嘘のつけない世界でしょう。 親鸞聖人にとってナンマンダブツととなえることは、まさに阿弥陀如来によって照らされる光によって、ごまかしのきかない我が身の相が、ありのままになることだと受け止めていました。 そしてそのことによって「救われがたい私」「そのような私をお見捨て下さらない仏さまであった」と「知らされる」のです。 どんなに厳しく自己採点をしても、ありのままに評価することができない私であった、とも知らされます。  
「オテントサマ」の画像
オテントサマ
2025年12月21日 21時31分
中学生の娘さんが法事の法話後に 「オテントサマって何ですか」 と質問してきました。 私が使ったその単語の意味を伝えると 「月にウサギが住んでいることは聞いたことがあるけれど、太陽にも何かいるのですか?」 と返されました。 母親が 「アンタそんなことも知らないの」 と嘲笑気味。 私は「教わる機会がなかったのか…でもあなたが嘲る?!」 と複雑な気分。 仏さまになられた故人は、私たちを見守ってくれていると聞きます。 そのまなざしは、「憐愍(れんみん)」とあります。 あわれみの瞳です。 真実がわからない。 ありのままに受け止められない。 いつも煩悩が邪魔をする。 そうとも知らず、私たちは自分の都合で拝む。 オテントサマが見ています。