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浄土真宗 福泉寺

山門の掲示板

山門の掲示板
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1月のカレンダー
2026年01月01日 21時43分
私たちは「教え」によって生きていると言えます。 例えば、「ご先祖様や親の教え」「師匠や先輩方の教え」などです。 今は「AIの教え」も、人によってはあるかもしれません。 ここで注目したいのは「すがた」の字が「相」であることです。 例えば「人相」は、ごまかしがききません。 「手相」についても、浄土真宗はこれをあてにしない宗教ですが、やはり嘘のつけない世界でしょう。 親鸞聖人にとってナンマンダブツととなえることは、まさに阿弥陀如来によって照らされる光によって、ごまかしのきかない我が身の相が、ありのままになることだと受け止めていました。 そしてそのことによって「救われがたい私」「そのような私をお見捨て下さらない仏さまであった」と「知らされる」のです。 どんなに厳しく自己採点をしても、ありのままに評価することができない私であった、とも知らされます。  
「オテントサマ」の画像
オテントサマ
2025年12月21日 21時31分
中学生の娘さんが法事の法話後に 「オテントサマって何ですか」 と質問してきました。 私が使ったその単語の意味を伝えると 「月にウサギが住んでいることは聞いたことがあるけれど、太陽にも何かいるのですか?」 と返されました。 母親が 「アンタそんなことも知らないの」 と嘲笑気味。 私は「教わる機会がなかったのか…でもあなたが嘲る?!」 と複雑な気分。 仏さまになられた故人は、私たちを見守ってくれていると聞きます。 そのまなざしは、「憐愍(れんみん)」とあります。 あわれみの瞳です。 真実がわからない。 ありのままに受け止められない。 いつも煩悩が邪魔をする。 そうとも知らず、私たちは自分の都合で拝む。 オテントサマが見ています。
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役に立つ…
2025年05月14日 22時26分
祖父江省念師 1905年(明治38年)9月18日岐阜県生まれ。幼くして寺の小僧となり、まもなく節談説教僧としての修業を積む。その鍛え上げた声と絶妙の間、独特の節回しで親鸞聖人の一代記などを語り、説教の会はどこも満堂の賑わいとなる。自坊・有隣寺をはじめ全国各地で開かれた説教は最盛期に年間400回を数えた。俳優の小沢昭一氏や永六輔氏らもその説教に感銘を受け節談説教の魅力を広く世の中に伝えると、昭和40年代には「節談説教ブーム」が起きたほどであった。(有隣寺HPより) 有隣寺さんのHPには省念師の音声が残っているそうです。(クリック) さて、「住職さん、この言葉の意味が分からないのですが…」といわれることも、「たしかにそうですね!」という言葉も伺いませんので、きっと皆さまの頭の上を晩春の風と共に吹き抜けてゆくのだろうと思います…。 入院や介護で、誰かの世話にならなければならなくなった時「誰の役にも立てなくて、迷惑ばかりかけて、生きているのがつらい」とおっしゃる方がいました。 その人はその時、多分「そんなことないですよ。生きていればきっと誰かの役に立っているはず」と言ってほしかったのだろうと思いました。なので、その通りに申し上げました。 同時に私の心の中 「この方自身が、若く元気に働けていた時、入院や介護(もっと言えば、障がい者やLGBTQなどへの社会的支援)の必要な人を『負担だけかかる役に立たない人たちだ』という価値観で見てきたということになるのではないか」とささやきが聞こえてきました。 役に立つ…私にとっては厄介な価値観です。 実はその考え方が、自分の価値観を浅く狭いものにし、人への無理解を生じ、結局は自分を苦しめ、人も苦しめると思うからです。 「人のために生きる」 「人の役に立つように生きる」。 似ているようで、全く違いますね。 ね?