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伝統を考える(前編)

2021年12月20日 04時45分 仏教 日誌

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2004年にニューヨークでの歌舞伎公演を成功させた故・中村勘三郎氏と一緒に活動したのが、舞台演出家の野田秀樹氏です。先日NHK特集でその時の様子が放送されました。彼が「伝統は面白い。面白いから伝統になる」と言っていたのが気になっていました。

寺・仏教という、いわゆる「伝統」と呼ばれるものに関わる私ですが、最近「昔の福泉寺ではなくなった気がして寂しい」とおっしゃった人がいて、私自身もなるべく変えないように努めてきたのですが、どうしても変わって映ってしまう、これはいったい何だろうという思いがありました。そして「伝統」とはいったいなんだ、と。

一般に「伝統」と言えば、「有形無形の、昔から続いているもの」であります。しかし、1983年にイギリスの歴史家エリック・ボブズボームとテレンス・レンジャーが提唱する『創られた伝統』が、このイメージに一石を投じました。
彼らは、私たちのこのイメージに対して「伝統の中には社会や政治が『都合の良い規範』として利用したものもある」と言ったのです。
つまり、さして長い年月を経たわけでもないのに、昔からあるものだと錯覚してしまうものや、長い年月を経ているゆえに、本質を問うことを放棄して、長年の規範を問うことが、現在の秩序を乱すかもしれないといっているのです。

また、「伝統」をいくつかの辞典を引いて驚きました。一部を挙げてみます。まず、「変わらず」「長く続いているもの」と錯覚するものとして

①「夫婦同姓」は日本の伝統とはいえないという考えがある。夫婦同姓は明治8年に「平民苗字必称義務令」によって国民皆姓制度がなされたかなり後の明治38年のことである。同姓を名乗る時は夫の家の相続に関係するとき以外、夫婦別姓であった。

②「武士道」は江戸の武士の伝統ではない。「武士道」が最初に登場したのは江戸初期発行の『甲陽軍鑑』であるが、当時は武名を上げる、個人の修養、一族の発展という意味では用いられていない。

③「演歌」は日本の伝統ではない。「演歌」のベースは西洋音楽であり(確かに伴奏が西洋楽器です)、戦後の進歩的知識人のレコード歌謡批判に対抗して昭和40年代初めに登場したものである。

④食前の「いただきます」は伝統ではない。これは昭和からできたもの、という考え。

⑤初詣は伝統ではない。明治初期にできたものという考え。

⑥相撲の土俵への「女人禁制」は伝統ではない。室町時代、江戸時代に「女相撲」の記録がある。

⑦「家族の絆が弱まった」「家族制度が崩壊しつつある」と言われることがあるが、実際には、1958年の政府の調査では「一番大切なもの」として「家族」を挙げていたのはわずか12%である一方、2013年の調査では44%にまで上昇している。

⑧葬儀での礼服は黒と決まっているが、明治天皇崩御の際に各国の要人がキリスト教の習いとして黒服をまとっていたことから一般に浸透し始めたのであり、それ以前は喪主は白であった。


このように、「現在の私の生活目線」から離れて遠くから見れば、そんなに長い歴史を持ったものではないことがうかがえます。
そして重要なことは、「いつから始まった」「どれだけ長く続いているか」ということではなく「誰かの都合によって」「事実・本質を捻じ曲げてでも」続いたものを無自覚に「伝統」と呼んでいる、ということです。

では「伝統」とは何でしょうか。それを絶妙に表現なさった記事を見つけましたので、明日に譲ります。