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先日、12月15日に前住職が退院して参りました。
この入院中に20キロ痩せたそうです。
減量に成功、というよりも、胃ろうによって食事量が少なくなったのです。運動機能が低下する難病にかかって5年。当初の医師の見立て通り、現在は寝たきりです。トイレも出来ず、言葉も出ません。会話は文字盤やパソコンを使います。
退院にあたって、色々な人が寺を往来しました。
介護付きタクシーの人、酸素吸入機の業者さん、訪問看護師さん3人、ケアマネジャーさん。タクシーの人は、初めて車いすを使い始めた頃からのお付き合いです。部屋のベッドまで運んでくれて、何やら少し無言のコミュニケーションがあったようです。帰りに「年取ったら涙腺緩むわ」と顔を隠していました。これには私もやられました。
私が11年前に入寺したころ、前住職の「独特な雰囲気」に馴染むのに時間を要しました。本人も「ワシはカンシャクを持っておる」と言っていましたが、当時、私は地域の皆さんから“歓待”を受けたと同時に前住職に対する不満もよく聞いたものです。いつしか私は、前住職に馴染もうとする努力を放棄して、この不満を共有するようになり、たびたび衝突もしました。
しかし、病気になって、サポートをすることが増え始めた頃、気持ちに変化が現われてきました。特にトイレの際、私に全体重を任せてきたとき、私はつい「ありがとうございました」と言ってしまい、これまでの不満から解放された気分でした。
人間って、変わるものだと身をもって知らされました。
さて、私のことよりも、退院した前住職の望むことはなんだろう、と思っています。それを支えるために、胃ろう、排せつ、酸素吸入、床ずれ防止…。
こないだ朝のお勤めの時に、ご門徒さんが「前住さんは、(町内でもいろんな声を聞くけれど)仏さまのことに関してはものすごく几帳面で、誠実であったんだと、こうして後になって分かりますよね」と言われた時、私は事務所に戻って泣きました。
皆さん、いろんな思いはあろうかと思いますが、前住職が昭和48年に入寺されて、住職不在の福泉寺は復興を遂げました。このことは分かち合いたいと思います。