Scroll

お寺が祭りに関わることの可能性について考える

2023年10月10日 13時29分 仏教 日誌 読む

お寺が祭りに関わることの可能性について考えるの画像

(朝日新聞10/8朝刊1面)

10/7、たまたまテレビをつけたら「長崎くんち」を生中継していました。気が付けば、家族で釘付けになって観ていました。

「長崎くんち」は1634(寛永11)年に始まった祭りで、1979(昭和54)年に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

規模の大きな祭りで変遷が多彩。ウィキペディアでも膨大な情報量です。
(詳しくはこちらクリック。)

祭りの根源は「楽しさ」です。天岩戸を、閉じこもった天照大神自らをもって開けしめたのは、戸の外から聞こえてくる楽しい声、囃子です。

楽しくなければ、本来祭りとして成立していません。また、楽しくないから、全国各地の小地域(町内・組内)の祭りの存続が危ぶまれている、本末転倒な状態が現状である地域が散見されます。

どうすれば楽しくなれるのでしょう。
多分(間違いなく)、祭り以外の日頃の関係性です。
この関係性を担保するのに、地域の寺が「役に立っていく」のが望ましいかもしれません。つまり、間接的に寺も祭りに関わります。

明治以降、寺と神社は、宗教の違いを理由に分断をしてきました。
これからは、もっと「先進的な」関係性を持っていく事が、共存共栄を目指すときに必要であるように思われます。