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おかえり

2023年10月06日 15時48分 仏教 日誌 読む

おかえりの画像

9/23。お彼岸法要のために「ウエルカムボード」を用意。
小2の長男に「書いてみて」と頼む。
文言は二人で相談して「おかえり」に決定。

9/24。前住職往生。深夜に病院から帰ってきた前住をストレッチャーに移して山門をくぐる。このとき、このボードが目に留まり、「何とも言えない気分」になる。


今回は、この「何とも言えない気分」について書こうと思います。

葬祭会館の方や、葬儀に関わる業者さんが時々「故人さまがお浄土に帰られました。皆さま、ご一緒に、合掌。」とアナウンスします。

この「帰る」というのは、あくまでも「仏さまの側がからの声掛け」です。なぜなら、私たちは浄土に一度も行ったことがないからと考えるからです。したがって、業者さんの声掛けは、そのまま仏さまの声掛けであり、言い換えれば、私たちは「帰る場所のあること」を確かに聞かせていただかなければならないのです。(それを「お聴聞」といいます)

このことから、ウエルカムボードを見て感じた「何とも言えない気分」とは、デジャヴや運命、預言といったことに自分が関わったかもしれない心境、あるいは、気安く縁起でもないことを書くべきではないといった後悔のような類のものではなく、

「いつ、何が起きてもおかしくない状況を1年以上頑張った前住と、そばで看病に明け暮れた前坊守への苦労を、息子の字を通して仏さまのねぎらう心が届けられているのだ」という感情なのです。

そう、仏さまが「命のよりどころ」となってくださっていたのです。