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総代長さんの式辞

2023年10月01日 07時30分 いい話 葬式を考える 日誌 読む

総代長さんの式辞の画像

色々な方、特に寺院関係の方から感激と称賛のお声がありましたので、ご本人のご了承をいただいて掲載いたします。(以下全文)

式辞
前住さんの門徒葬に際し 門徒を代表して哀悼の辞をもうしあげます
先日 前住さんの訃報を受け 前住さんとの思い出が次々と思い出され 悲しみに堪えません

前住さんは府中の徳円寺様から昭和48年に福泉寺第26世住職として入寺され 私たち門徒をしっかり導いてくださいました
その在任期間に梵鐘(ぼんしょう)、鐘楼(しょうろう)の再建、本堂の屋根の吹替え、内陣・境内の整備、本堂後門(ごうもん)増設、そして庫裡(くり)・門徒会館の新設など多くの実績を残され 現在の福泉寺の姿を造ってくださいました
また鴨川組(こうせんそ)の子供会すなわち仏教子ども研修会の発足を呼びかけられ その会は今日まで続いており 今年も開かれるとお聞きしています
その子供会のおかげをもちまして 私たちの子供や孫達が お寺に親しみを持ち 大きな声でお経を唱えることが出来るようになりました
子供達の心の成長に大いに役立ったと思うと 本当に有難く感謝しております
私事ですが 前住さんと年齢が近いせいか 親しく声をかけていただきました
報恩講参りに来ていただいた時に 御文章の「聖人一流の章」について「この御文章は真宗門徒の入り口であり 同時に最後の目標かもしれません」と言われ その内容を教えていただきました
それ以来 私は毎朝のお勤めの時には この御文章の内容をかみしめながら 拝読しています
今思えばその日が前住さんによるわが家への最後のお参りでした そして その日が私にとって大切な日になっています 本当にありがとうございました

ある日前住さんが「亘さん 難病になってしまったよ」とおっしゃいました 私は「頑張っていればそのうちいい治療法が発見されますよ」と意味のないお答えをしたと思います その後、お会いする度に徐々に不自由さが増していくお姿を複雑な気持ちで拝見していました

そして昨年の五月頃 住職さんが「前住は歩くことも 食事をすることも 会話をすることも難しくなり 文字盤に指をさして 思いをつたえてくれています 昨日は不自由な手で『野バラのように自由になりたい』と伝えてきました」と話されました
風に揺れる野バラを自由に動けることの象徴としての言葉だったのでしょうか

前住さんは毎晩 就寝前のお勤め時 阿弥陀様 親鸞聖人 蓮如上人 聖徳太子 七高僧へと一々座る向きを変えながら「ありがたいことです」「すまんことです」「もったいないことです」と言って合掌礼拝され その後 正信偈を唱えられていたそうです

住職さんはそのお姿を初めて拝見した時の感想を次のように言われています
「読経の上手なお坊さんや 法話の巧いお坊さんに憧れながらも 仏に向かう父の姿に『僧侶の基本はここにあり』と教えられ このことは いつまでも心にとどめ 温めていきたいと思った」と

前住さんご安心ください 前住さんの思いはしっかりと住職さんそしてお孫さんへと引き継がれています
私たち門徒も 住職さんの指導の下 一層力を合わせ お寺を支えてまいります
どうかお浄土で 野バラのように自由を楽しみながら 南無阿弥陀仏となって 私たち門徒を導いでください

令和5年9月29日
葬儀委員長 栗原亘


葬儀にあたって、式辞のご依頼はしましたが、文面は一切おまかせです。
当日、拝読中にはうなずく方、目頭を押さえる他寺院の坊守さんのお姿がありました。

朝のお参りをはじめ、写真のような日常のご縁の中で、その時々の会話を記憶・記録しておられたのだと思うと、感謝しかありません。読み返すと胸が熱くなります。

この熱さの源泉こそ、仏様の慈悲に他なりません。

※慈悲=「人を泣かさない心こそ、命あるものにとって最も尊ばれる生き方である」という教え