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伝統を考える(後編)

2021年12月22日 04時34分 仏教 日誌

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最終回は「仏教の伝統」です。

昔、京都におられる声明(お経)の師匠から聞いた話です。
鹿児島に出張した折に、近隣在住の教え子たちが集まった。久々の再会を喜び、酒席で談話が始まった。教え子たちは口々に「どうしたら寺に人が集まるか」について議論している。師が何回か「仏様との向き合い方」に話題を振るのですが、すぐに「人の集め方」の話題に戻ってしまう、ということでした。

寺に人が集まることは、すべての住職が望んでいることです。しかしながら、それはあくまで過程であって、本質は「1人ひとりが仏様とどのように向き合うか」であります。そのように考えると、本来は、私は私で、人のことを語っている場合ではないのです。

また、「先祖供養」「家族円満」という、自分以外の他者との関わりにおいても、常に自分自身が当事者でありますので、相手を通して自己を点検して、修正をする。

さて、仏教でいう「伝統」、光浦醸造さんの言う「ゴール」は「個々人のさとりの実現」です。浄土真宗という宗教においては、すでに阿弥陀様がご支度済みなので、私はおまかせするだけです。すべての法要行事、合掌・礼拝・焼香・読経などの形式作法は、阿弥陀如来からのアクションを素直に受け入れんがための手だてでありましょう。
考えてみたら、自らの経験や研鑽によって切り開くべき「扉」を阿弥陀如来から開いてくださるなんて、とんでもない話です。

いずれにしてもそのように仏教の「本質」に立ち返り、時代に順応し、良きものを伝承していけたらと思います。