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これまで、私の「中心に置くもの」について話してきました。
あたらめて、私の中心とは何でしょうか。
物質の運動には「軸」があるように、また物事には「本質」があるように、私たちの命、生き方にも「本尊」があります。
自分自身のこれまでの経験(思い出)や社会情勢(その時代の常識)が「本尊」に深く関わってくるようです。
さて、「仏」を本尊に置く、つまり仏さまを自分の生きる軸にするとはどういうことなのでしょうか。
「仏」とは「智慧と慈悲とが完成された世界」を意味します。
簡単に表現するなら
「智慧」=「見返りを求めない生き方」
「慈悲」=「相手を泣かさない生き方」
です。つまり、「仏」を本尊に置くとは「見返りを求めない、相手を泣かさない生き方こそ、命あるものにとって最も尊ばれる生き方である」というものを自分の生きる軸にする、ということです。
NHKの世論調査部(クリック)によると、この25年の間に、無宗教を表明する人の割合が性別・世代を超えて倍速で増えていることは明白です。
しかしこれは「特定の宗教・宗派に属さない」ことを表明しているに過ぎません。今回の「本尊論」によれば「自分の経験や価値観を本尊にしている」といえます。(「自分教」「自己本尊化」と言っておきましょう)
祈りから安らぎを得るような感覚があるのは、頑なに中心に置いていた「自分中心の価値観」から、一時的でも解放されるからなのだと思います。(以上)