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まずは本の紹介です。
現在、日本は「百年単位で起こる死生観の大転換のさなかにある」と著者はみる。墓じまい、樹木葬、手元供養などが広がるだけでなく、背後にある死を巡る観念そのものが大きな転換点に差し掛かっているという。いかにすれば次世代が安心して受け入れられる「生と死のストーリー」を紡ぎ出せるかという問題意識のもと、全国各地の霊場を訪ね、日本人の他界観の変遷をたどっていく。
中世の日本人は、浄土往生を人生の究極の目的としていたという。それを確実に果たそうとして、この世とあの世を結ぶ聖地に故人の骨が納められた。近世に入ると、この世を仮の世とみる世界観が薄れ、死んだ後も霊魂は墓に残り、遺族が「ご先祖様」と崇めて供養するようになる。それが現代になると、死者と生者の関係は個人対個人となり、「死者は縁者が思い起こした時だけ記憶の中に蘇る存在」で、「死者の側の能動性は失われ」、生者と死者が共存する社会ではなくなったという。
こうした生者と死者の関係が、和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)、高野山真言宗総本山金剛峯寺(和歌山県高野町)、臨済宗妙心寺派瑞巌寺(宮城県松島町)、浄土宗一心寺(大阪市天王寺区)などの事例から説明され、霊場歩きガイドとしても楽しめる。(『中外日報』より)
太字部分は私の編集です。
この中でも特筆すべきは「死者の能動性は失われ」という部分です。
おわかりでしょうか。簡単に表現すると「この私が今この瞬間、亡くなった人によって支えられ、励まされ、慰められているという感覚が失われた」ということです。
このことが起因しているので、葬儀の形式が変化してきたことは必然だったのです。
ちなみに、このような霊場紹介の時、浄土真宗寺院は大抵登場しません。理由は簡単です。この本の紹介文で言えば、中世(平安末期~鎌倉期)に生まれた浄土思想だけを純粋に継承しているからです。(伝統を重んじる世界だけに「変われない」部分は否めないにしても、「変わらすにいられる」だけの論理と普遍性が通底していることは補足しておきます)