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この地域では、葬儀の際にお棺の中に「尊号」を入れます。
中身は「南無阿弥陀仏」です。
いつでもどこでも阿弥陀如来と一緒だよ、ということを、残された私たちも改めて確認しようというものです。オフダのように、これ自体に霊力は備わっていません。
ところが最近、新たな課題が。
家族葬が進む中で、「院号は結構です」とおっしゃる家がありました。お棺の中に、この尊号を入れると「ですから、院号は結構です」と言われることがあるのです。
事情を説明すると納得してくださいますが、ようするに「伝わっていない」のです。
改めて思うに儀礼というものは、一つの所作、一つの道具に、いちいち説明をせず「昔からやっているから」という理由で続いているものがほとんどだろう、ということです。
時間短縮や効率を求める私たちが、「意味」や「価値」のわからないものを、この先何年も守り伝えていくことができるのでしょうか。