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川面に映る曇天と、一本の木を撮りたい。
すると、橋の端からダッシュする次女。
何のために?それは、走りたいから。
この後の予定など、見通しも立てることなく、ただ一生懸命に。
このあと走り足りない娘にせがまれて、3kmほどジョギング。
あたりが暗くなり始めたころ、帰り道の誘導を娘にまかせた。
すると、同じところをぐるぐる回り始める。
ふざけているのかと思ったら、本気で迷っていたようだ。
二人で、おなかがよじれるほど笑った。
私は、川面に映る曇天と、一本の木を撮りたかっただけだったのに、
結局息を切らせて帰宅。
こんな娘たちの「介入」を、この年になってようやく受け入れられるようになった。
さて、『仏説阿弥陀経』上段に、「羅睺羅(らごら)」という人物の名前が登場する。
羅睺羅はお釈迦様の実子。
羅睺羅はインド語で「ラーフラ」といい、「障り」「束縛者」という意味がある。
実子誕生の際お釈迦さまは「ラーフラが生まれた」。
これには「出家して修行をする妨げ」という意味があるとされてきた。
そのままラーフラと命名、父もそれを受け入れた。
いや、父にとっては言い国の王子が出家を断念してくれるだろうと、
受け入れどころか「歓迎」したのだろう。
さて結局、『仏説阿弥陀経』に羅睺羅の名があるということは、
その後の想像に難くないのだが、
私もこうして子を授かると、ときどき考える「ラーフラ」。
本当に、そう解釈していいのだろうか…。
確かにそれはあると思う。
なぜなら、子どもがいるために出来ないことはたくさんあるからだ。
けど、
自分のしたいことに対する妨げの「ラーフラ」ではなく、
我が命に代えても子を守りたいという、いくら修行をしてもコントロールしがたい情念の「ラーフラ」のような気がする。
私のひとりぼっちの人生に、子どもが「介入」してきました。
これでよかった、と言える人生を歩みたい。
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