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墓の習合論。

2021年10月15日 05時12分 仏教 日誌

墓の習合論。の画像

先日、私の親ほどのご年齢のご夫婦が来寺されました。
九州・熊本のお墓を福山のどこかのお寺に移設したいとのことでした。写真はそのお墓です。

立派なお墓です。その地域では一般的なサイズだそうです。

お墓と言えば、おととい、ミシマ社という出版の主催で
釋徹宗先生と内田樹先生の対談にライブ参加いたしまして、
その時のテーマが「お墓の習合論」というものでした。

この30年の間に激変したといっていいお墓事情ですが、

・もともと「今のお墓」は特定の宗教、宗派の教えに基づいて成立したわけではなく、ごく自然発生的に今のカタチが現われてきたこと(その土地特有の習俗とも受け入れ合って)

・家族制が機能しなくなって、家の墓以外にも「みんなの墓(供養塔)」が登場するあたりは、中近世のカタチに先祖返りしてきた、という見方

などなど、お二人の話題は尽きず大変面白いひと時でした。
結論としては、
・お墓のことについては最終的結論、正論(こうあるべきだという考え)は無いということ
・墓はその家族以外の人達にとっても何か与えうるものがあるということ
ということで、両先生、よろしいでしょうか。


さて、先のご夫婦ですが、熊本のお墓を福山のお寺にお預けするべく、福山市内の真宗寺院をかなり多く訪問されているようでした。
「あんまりたくさん参ると、かえって迷いませんか?」と笑いながら訊くと

「もう決めています。福泉寺さんです」

といわれ、非常に非常に身の引き締まる思いでした。