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ギブ&テイク

2024年03月25日 04時40分 仏教 日誌 読む

ギブ&テイクの画像

私たちは「お布施」と聞くと、反射的に「金品」を連想します。
間違いではないけれど、本来の意味はもっと広範に及びます。

例えば
表情で相手を和ませる「顔のお布施」
荷物を取ってあげる「身体のお布施」
相手ファーストの声掛けとしての「ことばのお布施」…
ほかにも
順番や席を譲るお布施、雨宿りに軒先を提供するお布施なんかもあります。
詳しくはこちら(天台宗HP)

お布施は別名「喜捨(きしゃ)」とも言います。
この言葉は、私には大変重いです。

何を「喜んで捨てる」のか。それは「『私がしてやったのだ』という思い」です。
「いいことしたな」という感情です。無理でしょ。

たとえば、運転中に道を譲ったときに、相手がお礼の仕草や
ハザードランプの点滅がなければ
「なんだ、道を譲ったのに無礼な」
となることがあります(私は)。
これは、喜捨、つまり施していない、という具合です。

なぜそうなってしまうのかというと、
(私たちの作り上げてきた)この世界が「ギブ&テイク」で成り立っているからです。

「施したのだ」という思いから離れなさいね。
これがお釈迦様の説かれた「布施」です。

ギブ&テイクを最も象徴しているのが経済活動です。
なので、ギブ&テイクでなければ、この世界を生きていくことはできません、
しかしながら
ギブ&テイクだけでは、仏さまの説く「ほんとうのしあわせ」は
永久に理解できないかもしれません。

この世界は、ときどき「ギブ&ギブ」があるから、面白いのだと思います。

(私の立場でお布施について説明すると、いつも気持ちが落ち着きませんけど、原語にはそういう意味がある、程度にとどめていただければ幸いです。)