Scroll
入院中の父(前住職)について、担当の石川医師から説明があるということで、母と一緒に病院に行ってきました。
現在寝たきりの父は、着替えや食事、トイレ、ベッドから起き上がることも出来ません。最近は、言葉を発することも出来なくなりました。
石川医師は致命的な誤嚥性肺炎を防止すべく、気管切開を控えめに提案してくれましたが、話せなくなったからと言って、気管切開してもいいと思えるほど人間は合理的にできていないことをご承知のようで、その控えめさに敬服したことでした。
さて、説明を聞いたのちに病室から降りてきた父が、車いすで合流しました。
ずいぶん痩せていて、車いすから前のめりに倒れそうな姿でした。
喧嘩をしていた頃が懐かしいです。
父は、上の写真のような文字盤(指が震えるので、穴に入れて文字をはっきり識別します)を使って、それでも15分ほどかけて意思を伝えようとしました。
地域連携室の松本さんが、倒れそうな父の上体を後ろから支えてくれています。
やっとのことで、11文字、何を言いたかったか分かりました。
「のばらのようにじゆうに」なりたい。
一文字ずつ、震える指がそう示しました。
松本さんと母が、目を赤くしていました。
それを見て私も熱くなりました。
帰って来て、このブログを書いています。
「自由」。
私は身体が元気だけれど、本当に自由なのだろうか。
本当はいつでも自由なのに、父も私も自由を感じていない。
これこそが、お釈迦さまの説かれる「無明」だと思いました。
さておき、父を支えてくださるあらゆる方々に、心から感謝申し上げます。