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ある席で総代さんと法座のご講師が話をしていました。
内容は聞こえませんでしたが、ご講師の「蝉に生まれたくないでしょ?」とおっしゃったのだけはクリアに聞こえました。
蝉だって一つの命。いや蝉の方が蝉を全うしている。それに引き換え、私は「私という人間」を全うしているか。そんなことを思うと、むしろ蝉の方がマシのようにも思われます。
あるご門徒さんが亡くなる前に「今度は鳥に生まれたい」とおっしゃっていました。ずっと足が悪かったから、自由に大空をはばたくイメージを持っていたようです。
さて、ご講師のこの一言。
これは「助けられる側(衆生)から、助ける側(仏さま)への転換」を意味します。仏教が「さとり」を目指すのは、この「一切の命あるものを救済する存在になる」ことを目指すことにほかならないのです。
今日のお通夜の方が、「生きとる間にみんなの喜ぶ顔を見ておきたい」といいながら、95年の命を全うされました。