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拍手こそが

2021年12月08日 05時29分 仏教 日誌

拍手こそがの画像

先日の報恩講は盛況でした。

ご講師によるご法話が終わった時、拍手が起こりました。

この拍手こそ、私たちのすがたそのものなのです。
つまり、
「いい話だった」「役に立つ話だった」という、
私の価値観を中心に見たものの見方なのです。

拍手を否定しているのではありませんので、
気分を害さないでください。

法話は、「仏さまの呼びかけ声」です。
ご講師は、そのお声を私たちにわかるような言葉で伝える
代弁者です。(お取りつぎといいます)

仏さまが
「そなたを必ず助ける」
との呼び声に拍手をもって迎えるのが
望ましいでしょうか。

つまりこういうことです。
例えば、川でおぼれている人を助けた人に、
「ようやった!」
と拍手で称賛することはあるでしょう。
ところで、
おぼれているのが「この私」だったらいかがですか。
命の恩人に拍手というのは、ちょっと…


法話を他人事として聞いては、何百回聞いても助かりません。
こんな風に私も教えられたものです。
(私も昔拍手しました)

拍手なさるほどのお話であったという嬉しさと
「この私のことだ」として聞いてほしいという思いが入交り
いささか複雑なひと時でした。

…ということで、この場合、拍手に変わるものは
「ナンマンダブ」と称えることです。
なんで?それは明日の日誌にて。