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↑先年8/2に往生しました前々坊守・児玉直子おばあちゃんは、本当に手先の器用な人で、いろいろな作品を残しました。その中の一つ、「千代紙のお雛様」です。よくみると顔がありません。しかし不思議なことに、表情が豊かなのです。
私の郷にいた画家の原田泰司(←クリック)を想起します。
「のっぺらぼうだ。へんなの…」と言った娘にも、この人形の表情がありありと感じられる日がやってくるのを楽しみに待っています。
↑今年中学生になる長女の初節句に、先年9/24に亡くなった前住職・児玉雄嗣父から送られたお雛様です。
「そんなに高いのか!」
子どものいない父に、初孫の節句の話をするのはいささか気が引けました。
忙しさにかまけて、出したり出さなかったり…これからは毎年出します。
節句…文字通り竹の節のように、人生における節々(アクセント)を付けて、強く真っすぐに育ってもらいたいです。
ご門徒さんの雛飾りです。
…というか、床の間の掛け軸に目が止まりました。
「念念称名常懺悔(ねんねんしょうみょうじょうさんげ)」。
中国唐代の善導大師の『般舟讃(はんじゅさん)』です。
あえて自己反省などせずとも、ナンマンダブの徳により、お念仏称える中に懴悔と滅罪の徳がそなわる、という意味です。
ナンマンダブを称える時くらいは、自分の心に素直でありたいです。