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私たちは「教え」によって生きていると言えます。
例えば、「ご先祖様や親の教え」「師匠や先輩方の教え」などです。
今は「AIの教え」も、人によってはあるかもしれません。
ここで注目したいのは「すがた」の字が「相」であることです。
例えば「人相」は、ごまかしがききません。
「手相」についても、浄土真宗はこれをあてにしない宗教ですが、やはり嘘のつけない世界でしょう。
親鸞聖人にとってナンマンダブツととなえることは、まさに阿弥陀如来によって照らされる光によって、ごまかしのきかない我が身の相が、ありのままになることだと受け止めていました。
そしてそのことによって「救われがたい私」「そのような私をお見捨て下さらない仏さまであった」と「知らされる」のです。
どんなに厳しく自己採点をしても、ありのままに評価することができない私であった、とも知らされます。