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中心に置くもの③

2021年05月28日 23時32分 仏教

中心に置くもの③の画像

内陣(本堂の奥、仏さまのいらっしゃる場所)の両脇に、畳の間があります。
「余間(よま)」と言います。

向かって右側を「右余間」といいますが、
今から数年前「左余間」に名称変更されました。
どういうことかお分かりでしょうか。

ご法事の時にクイズ形式で聞いたことがあります。
たまに気がつかれる方がいます。
私たちは普通「右側」と言われたら「私から見て」が前提なのです。
名称変更がなされた、というのは、つまり私ではなく「仏さまから見て」の左右になった
ということです。

本願寺は定期的に(?)マイナーチェンジをします。
今回の変更は特に、左右逆転ですから、現場は混乱しかねません。
(我が家では「あっち」「こっち」と言ったり「聖徳太子さま」「七高僧さま」と言ったりしています。それぞれに掛け軸があります。)
しかし、先般師匠から次の話を聞いて混乱の心配が吹き飛びました。

「変わったのではなく、どうも戻したらしい」

明治維新は、西洋文化の積極導入がなされました。
西洋は、言語からも分かるように「I(アイ)」の思想です。
つまり、自分のことを表現するときには主語に必ず「I」をつけなければなりません。日本語はどうでしょう。常に「私は」「私は」とつけなくても、文法上成立します。むしろ、会話で「私」を連呼していたら、自己主張が強いと印象付けられてしまうかもしれません。
ここでいう「I」とは、一般に言う「近代自我」のことです。

つまり、江戸時代までは「仏さまから見て左右」だったのです。「I(自分中心)」の思想が本堂の中にまで入ってきた、ということになります。この100年かちょっとの間に、私たちの考え方が大きく変わってきたといえます。(この認識でいいか本山に確かめました。思うような回答が得られませんでしたが、おそらく合っているでしょう)

仏教は、この私の姿、生き方を「私以外のだれか」をベースに見ることが重要なキーポイントです。(④へつづく)