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(朝日新聞朝刊10/4より)
子どもたちに作曲に指導をする記事です。
作曲家の藤倉大さん。
指導、と書きましたが、基本的に「指導しない」というスタンスだそうです。
極力助言を控え、また現場では音楽教師、家庭では親が口出しをすることを禁じるように発信しているそうです。
アメリカ航空宇宙局(NASA)が「創造的な問題解決能力」のテストをしたところ、4~5歳の98%が「天才」に分類された、とありました。これが5年後には30%、10年後には12%になり、大人ではわずかに2%だったそうです。
さて、「天才とは」何ぞや、という定義については割愛しますが、仏教者の立場から類推するに、「そうだろうな」と思い当たるものがあります。
それを考察する際にキーワードになるのは、「知恵」「常識」「煩悩」です。
つまり「私たちは充実した経済活動を目指して『知恵』を身に着けるべく脳をトレーニングする。しかしそれは、『常識』という道徳・法律観に基づいた線引きが規範になっているため、この規範に倣っていく過程で独創性を手放していくのだろう。なぜ、そうしていくのかというと、前段で述べた通り、経済の充実を目標としているのであり、そのことはそのまま『煩悩』のすがたに他ならない。一方、子どもにはもともとその概念(煩悩・欲)がないため、自由闊達な発想をもって存在することが出来る」と言えそうです。
言うまでもなく、経済の発展を否定しているのではありません。
ただ、「常識や知恵を身につけること」を手放しで礼賛することを、仏教は警鐘を鳴らしているのです。もっと言えば、そのような人間の姿をご覧になった仏さまのお心を「悲」とあらわしているのです。
この世界で生きていくために、いったん仏さまの世界とは180度逆のベクトルへ進む。その後、進む方角に疑問を抱き(常識を疑い)、一度引いた線が揺らぐ。仏教の面白さはここから始まるのです。